Thanks

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「学校に、行きたいんです。私」
 いつになく真摯な眼差しで、茶化すこともなく、微かな微笑みを浮かべながら、目の前の自分とそっくりな少女が静かに言う。
 それに対し、園崎魅音はぱちり、と長い睫毛で瞬きし、首を傾げた。
「がっこう? 興宮に行ってるじゃん。それにあんた、学校が嫌だから戻って来たんでしょ?」
 園崎家の姉妹は双子であったが住まいは別であり、通う学区も全く違う。
 大体、一年前通っていた女子高を脱走したことで、彼女は学び舎自体好ましく思わないのだと思っていた。
 きょとんとした表情で見つめる同じ色の瞳に、詩音はクスリと笑う。
「学校は別にヤじゃないですよ。あそこで縮こまって押し込められて生きていくのが嫌だっただけ。私は、雛見沢の学校に通いたいんです」
 お姉と同じ学校に、通いたいんです。
 姉としては素直に可愛い、と思えるその発言に、魅音はその表情を曇らせた。
 もともと詩音は園崎家の中では存在を押し殺されてきた娘だ。
 一年前にこちらに戻って来たことですら忌まれているかもしれないと思うのに、普通の姉妹みたいに同じ学校に通うなんて、そんな夢みたいなこと――。
「それは……出来るかな」
 顔を顰めた魅音に、詩音は懇願するように膝をつく。
「したいの。だからお姉……協力、して下さい。この件に関しては、私に全面的に。『園崎魅音』じゃなくて、私の姉として……協力して下さい。お願いします」
 詩音は頭を下げた。妹として、「妹」に対して。
「し、詩音……!」
 これに、魅音は狼狽えた。
 自分と同じ顔がここまで謙っているだけでも心臓に悪いのに、詩音はもともと魅音の妹ではなく姉だったのだ。
 居心地の悪さに、思わず自分も目線を同じくしてしまう。
 詩音は慌てた様子で自らも膝をついた姉に、両肩を竦めて諦めたように微笑んだ。
「お姉……私ね、ホントはちょっと、圭ちゃんのことが好きだったんです」
 投下されたその爆弾に、魅音が目を瞠る。
 圭ちゃんこと前原圭一は、魅音の思い人だった。
「……!? は、え??」
 困惑の表情の魅音を真正面から覗き込み、詩音はやはり、静かな声で。
「だって、アイツ人の心にずけずけ入り込んできて、悟史くんと同じように頭を撫でてくれて、それで……とっても優しかったから」
 それはあんまり静かで、優しくて、何もかもを洗い流してしまうような、俗っぽさの欠片もない、無垢な声だったから。
 だから、魅音は、詩音のその感情が自分のものとは似通いながらも僅かに違うものであることに気付いた。
 優しさを知らなかった少女が、一度触れてしまった優しさを無意識に求めるような、それは。
「……詩音」
 名前を呼ぶ声に促されたかのように、詩音は自嘲気味に俯いて、暗く笑った。
 過去の自分の過ちを、真っ直ぐ見つめるような、痛ましい表情で。
「だから、ずっと嫌いだった」
「……」
 続いた言葉にも、魅音は黙って先を促す。
 それが本心ではないことくらい、分かり過ぎるほど分かっていた。
 こうして妹の声を聞きながら思い出す圭一の姿に、嫌いだなんて感情が存在するとは、とても思えなかったから。
「私の中の悟史くんを消すから。それなのに知らない顔で笑ってるから……粗野で乱暴で良いところなんてないって、思おうとしてたんです。でも……止めました」
 詩音が顔を上げる。
 その眼差しには、偽りも隠し事もなかった。
 今、詩音は全てを曝け出していると、そう思った。
「嘘を吐くの、止めました。圭ちゃんは良い人です。あったかくて、とても良い人です。それなのに目を逸らして誤魔化すのは……良く、ないよね」
「……うん」
「悟史くんと比べて、ほら、こんなところが嫌いなんだ、だから悟史くんを好きなんだって、言い聞かせてたの。でもそんなふうに思うのは、間違ってる。そんなの、悟史くんに対する……何よりも爪を三枚剥いでも良いから守りたいと思った私の初恋に対する冒涜じゃないですか。初めて一番綺麗だって信じることが出来た大切なものを、自分で踏み躙ってるってことじゃないですか」
「詩音……」
 名前を呼ぶことしか、魅音には出来ない。
 詩音は自分を責めている。
 後悔に苛まれながら、ここで罪を告白しているのだ。全て聞こうと思うとともに、それは魅音にとっても痛くて苦しい。
「悟史くんと他の誰かは比べられない。誰と比べたって、劣っているところも優れているところも、ひっくるめて好きなんだもの。ひっくるめて好きだと思ったからあんなことまでしたんだもの。それを、自分で否定するようなことをして……裏切っちゃった」
 困った顔で笑ったことが、愚痴にすらなりきれていない懺悔の言葉が、痛くて。
 双生児の間に不思議な事象が起きることがあるが、園崎姉妹にそのようなことは一度もない。ただ、魅音が辛ければ、詩音も辛い。詩音が辛ければ魅音も辛いのだ。
 あの日、妹と同じく自らの爪を剥いだ時のように。
 魅音には、耐えきることは出来なかった。
「裏切ってなんか……!」
 睫毛の下に涙が滲む。
 詩音が泣いていないのに、と思ったけれど、あるいはこれは、詩音の代わりに泣いているのかもしれない。
「ううん、裏切ったの。信じなかった。自分の記憶じゃない。想いの確かさを。薄れる記憶に怯えて消されたくないと恐れるほどの想いの強さを、悟史くんの無事を、信じなかった。でも、今は信じたいと思ってるんです。いいえ、信じてるの。だから、私……取り敢えず沙都子に逢いたいな、と思って。あの子と同じ場所で息をしていたいと思って。その為に、学校へ行きたいんです」
「……沙都子?」
「ええ。だって……将来私の妹になる女の子ですもの!」
 おどけたように、詩音は笑った。
 そこに、影は微塵もない。
「詩音……!」
「心配ばっかりかけて、ごめんね。もう大丈夫です。だって、きっと気が合うと思うの。私も沙都子も同じ人を好きなんだから」
 初めて見るような、笑顔。
 血の繋がった姉であり妹である彼女のこんなに純粋でまっすぐな微笑みを、魅音は未だかつて目にしたことがなかった。
 いや、もしかしたら幼い時には見たことがあったのかもしれない。ただ、それはもう本当にずっとずっと古い記憶で、既に魅音の中には残っていなかった。
 溜め息をつく。
 負けたと思った。
 この話を持ちかけられた時点で、彼女の話に逐一共感してしまった時点で、魅音の負けは決まっていた。
 これから自分が歩むであろう園崎本家頭首の道を、一族をまとめあげなければいけない未来を、たとえ失っても。穢しても。示しがつかないことになっても。
 ……誰に責められても。
 それでも、きっと今笑ってくれた詩音の笑顔は、もっと、ずっと、大切だと思うから。
 どんな結果に終わっても後悔は、お互いにしないんだろうと思ってしまったから。
 結局、自分はこの妹に心の底から敵わないのだろう。
 甘いと思う。こんなザマではお魎のようにはとてもなれない。でも、たった一人の半身の願いすら叶えてあげられない頭首なんて、自分だったら要らないと思うから。
「婆っちゃには一緒に怒られるんだよ? それから、正式に通えるようになるまでは時間がかかると思うから、しばらく仮登校みたいな形になるけど、我慢して」
 渋面を作ってみせるけれど、詩音は堪えてもいない様子だった。
 彼女にしては珍しく、感激したように胸の前で手を組み合わせ、少し涙ぐんですら見せる。
「ありがとう、お姉……! 勿論そう上手くいかないって分かってます!!」
 結果が実を結ぶか、結ばないか、それ自体は今の詩音にとってはどうでも良かった。
 それよりも、いつでも園崎を優先に考えて頭首に相応しくあろうとしてきた魅音が、自分の味方をしてくれると言ってくれたこと。そのことが一番嬉しくて、何よりも心強かった。
 抱き着かんばかりの詩音の様子に、魅音は呆れたように微笑む。
「昔からそうだよ。我慢する時は本当に文句一つ言わないのに、我が儘言う時は躊躇わないんだから」
 詩音と呼ばれ学校に閉じ込められても、恨み言一つ言わなかった。
 勿論お魎に対しては思うところあったに違いないが、それを魅音にぶちまけて彼女の立場を困らせたことは一度もない。
 詩音はいつでも、園崎頭首としての重責を背負いつつ妹のことを気遣って板挟みになってくれる魅音の心情を出来る限り慮ってきた。
 けれど、悟史と出会って初めての恋に全てを懸けた時も、今も。
 こうと決めたら決して譲らない。
 心の奥深くに封じ込めて普段は魅音にすら見せはしない激情が、詩音にはあった。
 そしてそれを彼女がひとたび決心したら、魅音の口利きでは決して動かせないのだ。
 だからだろうか。
 普段から様々な抑圧を受け様々なことを我慢していると知っているからこそ、詩音のお願いは、聞いてあげたくなってしまう。
 ああ、どうやって婆っちゃを説得しよう。バレないってことは無理だろうから、ここからはどうやって上手く立ち回るかにかかっている。
 魅音はフル回転で脳みそを働かせる。
 そしてそれは、決して悪い気分のするものではなかった。
 ああでもないこうでもないと敬愛する祖母を出し抜く計画をねることは、まるで昔二人で悪戯の策略を巡らせた時のように平和で、懐かしくて泣きたいくらい片割れの存在感と安心感と信頼を思うことで。
 自分でもいつになく晴れ晴れとした顔をしているだろうと思う魅音の微笑みに、詩音が嬉しそうに笑う。
 今まで、立っている位置が決定的に違った自分たちでは、こうして笑うことは、きっと出来なかったに違いない。
 告白するのにも勇気が必要だった。
 詩音は魅音の頭首としての振る舞いに何一つ口を挟まないと言うのが、暗黙の了解だったから。
 でも。
「勘違いをして、誰にも言わないで、堕ちちゃう夢を見たんです。凄く、後悔して、でも引き返せないからって、したくもない決意をする夢。悲しくて遣る瀬なくて、ずっと謝ってるの。……怖かった。あんな後悔はもう二度と、夢でもしたくないから」
 謝る対象には魅音も含まれていた。
 生まれてきて、迷惑をかけて、振り回して、ごめんなさい、と。
 決してしてはいけない最低の罪を、間違いを犯した。
 取り返しのつかないことを、そうすることでしか償えなくて、謝り続けている夢。
 目が覚めた時には目眩がして、瞼が腫れ上がっていて、自分が泣きながら眠っていたということを知って。
 せめて生まれた時からの半身である魅音には、何も隠さずに自分の思いを打ち明けようと決めた。
 そうだ。一緒に生まれたことに、後悔なんてしたくなかったから。
 生まれてきてごめんなさい、なんて。そんな言葉、魅音には絶対聞かせたくなかったから。
 出来るだけのことをしようと初めて思えた。
 諦めるのはもうたくさんだ。
 出来ないことに言い訳して、先回りして、いじけて、世界を呪いながらこれ以上唾を吐きたくない。
 やるだけやったら、それで何も変わらなくても、きっと自分は満足出来る。
 満たされる日は来ないかもしれない。でも、そうして初めて胸が張れるだろう。
 園崎詩音は確かに生きて、何かを変えようと努力して、歩いたんだと、自分の存在を、自分自身が認めることが出来るだろう。
 存在理由なんて、考える必要がないことは分かっている。
 でも、詩音は「詩音」が存在している確かな何かを求めたかったのだ。
 夢はただの夢だけれど。
 そんな悲しい未来はきっともうやって来ないだろうけれど。
 そこに安寧を求めて、揺蕩って、愚鈍に生きていたくなどない。
 何かを、自分の手で変えてみたかった。
「……ゆめ、かぁ。私も後悔する夢、見たよそういえば。話せなくて、止められなくて、助けられなくて。やっぱり謝ってて。あとでそんなに泣くくらいなら色々かなぐり捨てて話しちゃっとけば良かったのにね、って、思う夢」
 すっかり温くなってしまったお茶で唇を湿らせながら、魅音はその夢を思い出した。
 その夢で、魅音はとても傷付いて、けれど相手もとても傷付いていて、許したいのに後戻りは出来ない道で、何度も何度も、どうしてこんなことになってしまったのかと思った。その時ばかりは、相手も同じことを思っているのだろうと思った。
 だから、最後に思ったことは。
 今までずっと、間違ってきてしまったんだ、ということで。
 もっと話をすれば良かった。
 もっと話を聞けば良かった。
 何を考えて、何が嬉しくて、何が悲しかったのか。
 分からなくなっていることが異常だと気付けなくて。最後の時まで、分からなくて。
 確かに好きだったのに、代わりなんていないのに、絶対になくせないと思っていたのに、何故。
 何故あそこまで、ただ見ていただけだったのか。
 最後にはもう泣き叫ぶことしか出来なかった魅音が犯した罪は、だから最初から間違えてしまっていた「それ」だけだったけれど、見逃して良いSOSではなかったのだ。
 少なくともあの時、泣いていたのだから。
 他の誰がそれを不様だと笑っても、見捨てても、魅音だけは助けなければいけなかった。助けたかった。
 だから……多分理屈なんて関係なかったのだ。
 本当は自分に言い訳しなくても、もう一度助けを求められたら、絶対に味方をしようと決めていた。
 誰に咎められても、誰を傷付けても、誰の期待を裏切っても。これ以上の後悔なんてないと思ったから。
「だから本当は私、詩音とおんなじなんだよ。それだけ、だから」
 もう二度と哀しみに嘆いて後悔することがないように、消していきたくて。
 大切な人がいて、守りたいものがあって、大事な雛見沢村。
 それをそっくり守りたいと思う気持ちは、きっとこの村の誰の心の中にも、大なり小なり存在しているから。
 詩音はちょっと首を傾けて、なんにも変わっていないのに、幸せそうに笑った。
「お姉……ありがとう」
 それに破顔で、魅音も返す。
「ううん。多分、こっちこそ、なんだよ」
 また、笑顔がみられたこと。それが明日も明後日も、続いてくれることを願うなら。
 愛しいと思って、大切で、代わりなんてどこにもいない確かな、これだけは目に見える絆。私たちは、これを、守りたいと思ったんじゃなかったのか。
 心が離れた時もあった。でも、今は一緒にいる。隣にいる。
 そして多分、これからも、ずっと。
 子供の頃から変わらない、同じ視線の高さで見る夏の青空は、やっぱり同じくらいに綺麗だったから。


ende


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 最初は、詩音がみんなと学校通ってくれないかなぁと妄想して書き始めました。
 そうしたらどうですか。
 皆殺し編で、詩音はみんなと学校へ行って、沙都子を慈しんでいました。因みに昔、私はこの光景が見られるなら悟史が生きて帰って来なくても良いくらいだと言ったことがあります。
 確執がない園崎姉妹を見たかった、ていうのもありますしね。
 竜騎士07GJ!!!!!!!!
 本居は親指を立てました。
 で、じゃあ皆殺し編設定で詩音が学校へ行くまでを書こう、と加筆修正したのがこのブツ。本筋はあんまり変わってません。
 ただ当初予定していたより園崎姉妹が愛し合っています(笑)。
 双子だから多少自分の思いも交えていますね。少なくとも私たちは、お互い心の底から憎み合うことなんて出来ないし、誰が敵対しても自分だけは味方になってやらなきゃと思いますから。
 いつでも健全で真っ直ぐな魅音が「間違え」たのはその点だけだと思います。この子は真っ直ぐだからこそ、家と妹との板挟みになって辛かっただろうなぁ。
 皆殺し編から園崎姉妹のお互いを思い遣る絆が表されるようになり、綿流し編で魅音が言った「詩音嫌いー」なんて台詞は本当に上辺だけだったんだなぁと嬉しくなりました。
 園崎姉妹大好きです。
 この二人に幸せが訪れることを祈ります。