hand and hand








 取り敢えずもう、立ち止まっても良いのよね。
 一息ついた松本乱菊が思ったことと言えばまずそれだった。
 藍染を……市丸を取り逃がしたことは、恐らく甚大な損害を出すはずだ。
 そうでなくとも放ってはおけまい。
 けれど先日から息をつく暇すらなくここまで来たことを思えば、これは小休止と考えて良いかもしれない。
 そう。日番谷も……今は休んでいても良いのだ。
 松本は僅かに安堵する思いを胸に、日番谷が休む救護室の戸を開けた。
 目を閉じていてもその印象は変わらないけれど、苛烈な瞳が見られないと、確かに他隊の者などが言うようにうちの隊長は子供に見える。
 そう考えて、少しだけ笑った。
 声を出したつもりはなかったが……勘の良い彼のことだから何か感じたのだろうか。
 ふっと視線を下ろして寝台を見下ろすと、日番谷はうっすらと目を開けたところだった。
「……どうなった?」
 起きた瞬間はっきりとした発音で話す上司に、松本は微笑んで見せる。
「皆無事ですよ、雛森も大丈夫。敵には……すみません、力が足りなくて逃げられちゃいました。今はちょっと休憩時間みたいな感じかしら」
 だからまだ寝ていて良いのよ。と言外で告げる。
 しかし、日番谷はそれでも目を閉じはしなかった。逆に寝かせていた身体を寝台の上に起こす。
 そして言いにくそうに口を一度開いて……閉じた。
 いつも真っ直ぐな眼差しを、逡巡するように。
 それからやっと、それでも言い淀む様子で唇を開く。
「市丸……は……」
 まさかその名前が出てくるとは思わず、松本は瞳を見開く。
「ギン? アイツがなんですか?」
 てっきり日番谷の頭に今あるのは藍染と雛森のことだと思っていた。
 そんなに仲が良い訳でもなく寧ろ気に食わない相手で、気にするような存在でもないのに。
 しかし日番谷の方も事態が飲み込めないような表情をした。
 藍染の後ろに付き従う市丸の姿を確かに見たのに、松本の方は何も思ってはいないのだろうか、と。
「藍染と、一緒だったんだろ? どうなったんだ」
 何だ、そのこと。
 納得し、松本は頷いてから当然の言葉を吐き出した。
「勿論、藍染隊長と一緒に逃げましたよ」
「逃げた?」
「ええ……あたしの失態ですね、刀を首に当てて手を掴んでたから逃げられないと思っていたんですけど」
 あの場で彼等を逃がしてしまったのは自分一人のことではないけれど、それでもあの男を留められれば戦力は低下したはずだ。
 松本が口惜しげに形の良い親指の爪をキリ、と噛む。
「……逃げたか」
 その様子に視線を送りながら、日番谷は繰り返して軽い体をどさっと再び寝台に横たえた。
 どこか、安堵したような、それでいて悔しいような、悲しいような、複雑な感情に色付けられた表情で。
「ごめんな、ですって。舐めてるわよね」
 松本が笑う。それに対して日番谷もようやく、張っていた気を緩めたように笑った。
 それはやはりどこかで歓迎しているような、それでも辛いような表情で。
「馬鹿な奴だな……アイツも」
 皮肉な衝動に駆られたように、珍しく「はは」と軽く声をあげた。
 その乾いた声音に松本が怪訝そうな顔をするのに対し、その目を真正面から覗き込む。
 いつもと同じはずの瞳の色は、何故かいつもと違って酷く冴えているように見えた。
 泣きたいのかもしれないと、漠然と思う。
 痛ましげに柳眉を顰めた松本の手を、日番谷は強い力で掴んだ。
 まるで、注意を促すかのように。
 痛いほど真っ直ぐな眼差しが松本を射る。
 日番谷が、唇を開いた。
「俺は、絶対おまえから逃げたりしてやらない。目を、逸らしたり……しない」
「……ッ! たい、ちょう」
 嫌だと言われたって、離さない。
 この手に触れられたら、振りほどいたりしない。
 翻さない真っ直ぐな想いからは逃げない。想いを重荷に感じたり、決してしない。
 ……ずっと、見ている。
「おまえが望むなら、ずっと捕まっててやるよ」
 何故これほどのものを容易く手に入れられる位置に居て、何度も、何度も、アイツは手放すのだろう。
 松本はそれこそ腐るほど多くの機会をアイツに投げ出しているのに。
 いつだって受け入れようとしているのに。
 それを自ら捨てるような真似を、傷付けることをするのだろう。
 あの男の気持ちは分からない訳ではない。日番谷は松本の隣に立つことで関わろうとし、市丸は松本を傷付けることで関わろうとしているのかもしれない。
 いつでも気まぐれに言葉を放つだけで、行動だけで、彼女の心を傷付けてしまえる、動かせる存在。安易に傷付けるそれを何より厭いながらも、心のどこかで同じように感情の揺らぎをもたらしたい自分がいるから。
 それでも、最後のチャンスをアイツはふいにした。
 差し出された手を振り払った。
 それならもう……俺は、遠慮する必要なんてないんだ。
「だからおまえも、離さないでいろ」
 この手に触れるその温もりさえ感じられるなら、何も怖くはないから。俺は、自信を持って立っていられるから。
 俺は、求めることも求められることも、恐れたりしないから。
「……はいっ!」
 松本が泣きそうに顔を歪めてそれでもとても……心の底から嬉しそうに笑ったのは、きっと日番谷の見間違いなどではない。
 だから、この手を離すことは。


ende





 ブログに掲載した日乱小説。
 179話で出番がなかった十番隊主従の裏側を捏造してみたものです。
 市丸には出来ないことを、きっと日番谷くんは何ということもなく出来ると思います。だからこそ、乱菊さんは彼のことを好きなんだろうと。
 思いの形も、矛先も、きっと人それぞれ。
 けれど私は、相手を受け止められる、小さいけれど大きい日番谷くんの手が好きです。そういう感じのお話。(訳分からん)


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