蝉と夏祭3




 車椅子を人込みで押して進むのはかなり至難の業で、結局侘びと言うか原に薦められて誘った夏祭りも、加藤は狩谷の面倒ばかり見ていた。
 せっかくめぼしい出店を見つけて食べ物を買うにしてもなるべく通りの端に寄って買いに走り。
 何度かそれを繰り返してせっかく綺麗に着付けられた浴衣を誰に見せるでもなく人込みに入っていく背中を、何度見送ったことか。
「悪かったな……楽しくなかっただろ?」
 別行動の方が良かったかもしれない。何も車椅子を押してもらわなければ移動できない訳でもないし、そもそも狩谷自身が来る必要もなかった。
 後悔、してるんじゃないだろうか。
 帰り道、機嫌を窺うような声で訊ねると、加藤はきょとんと目を丸くしてから朗らかに笑った。
「ううん、楽しかった」
 答える加藤の表情があまりにも晴れ晴れとしていたので、狩谷は面食らう。
 車椅子では入れない場所や、ゲームの類は一切触れられず、楽しんだと言えば食べることだけ。それなのに、そんなふうに笑う加藤の気持ちが分からなかった。
「……そうか? それなら、良いんだが……」
 釈然としないような答えを返せば、加藤は幸せそうに肩を竦める。
「うちはなっちゃんと居れたらそれで楽しいんよ。変な気遣うてたら損やで?お祭りに一緒に行ったんも初めてやったし、嬉しかった」
 いつもだったら何とも思わないことや、見慣れているありふれたものが、あなたといると。それだけで何て輝いて見えるんだろう。
 屋台のちょっと粉っぽいたこ焼きも、ただ甘いだけのワタアメも、初めて味わうような気持ちがした。
 こんなに楽しい夏祭りは、初めてだった。
「そうか。……すまない」
「だーから、何で謝るん? うちは嬉しいのに」
 珍しく何度も謝る狩谷に、加藤はくすぐったいような顔をする。
 それに対し、狩谷は首を振った。
「そのことじゃない。今朝のことを……謝ろうと思って誘ったんだ、最初から」
 機嫌をとるなんてことじゃ勿論ないけれど、たまには楽しんでもらえたら良いと思ったから。
 だからこそ、もしかしたら楽しくなかったのではないかと思ったらどうにも気になって。
 狩谷の言葉に、加藤の笑みが一瞬凍りついて、明るい笑みが暗くなった。
「あ、そやったの? なんやぁ、そやったんか……。あ、はは、デートかと思ったわ」
 ウキウキと弾んでいた加藤の声が急に沈んだので、狩谷は怪訝そうに首を傾げる。乾いた笑い声が寂しそうに響いて、楽しい空気はしぼんでしまったように思えた。
 また何か、悪いことを言ってしまっただろうか。
「? だから、すまなかった。僕は気が利かないから、おまえにはいつも嫌な思いをさせるんだろうな……」
 たった一つの言葉さえ、上手く伝わるかどうかも分からない。
 思ってもみないところできっと深く傷付けている。
 好意や優しさに甘えて、礼の一つも満足に言えたためしはなかった。
 それなのに何故いつも、彼女はこうして世話を焼いて隣に居てくれるのだろう。
 いつになくしおらしい狩谷の言葉に、加藤は戸惑う。
「な、何言うてんの!? 大体あんなの八つ当たりみたいなもんやろ? 気にせんでええんよ!」
 そもそも狩谷は何も悪くなかった。
 寧ろ自分の方こそ悪いと思っていたことだったから、そんな意図があるなんて、微塵も考えが及ばすに。
 うちはやっぱり、まだまだなっちゃんの足元にも及ばへんのやね。
 自嘲気味に俯いて笑う加藤の耳に、狩谷の落ち着き払った声が聞こえた。
「まあつまり……僕がおまえを祭と呼んでいれば良いだけのことだった」
 ……。
 時が止まったような気がする。
 ちょっ……なん、え、何? 今何て言ったんだった?
「……え!?」
 じっくりじっくり噛み砕いて、ようやく加藤は驚愕の声を出した。
 狩谷はそれに不思議そうな顔で振り向く。
「何を驚くんだ。僕がおまえのことを祭と呼んでいれば、『祭、茶!』と言っても問題なかったはずだろう?」
「や……そりゃそうやけど」
 頷きたくもないけれど彼が発端だと思い込んでいる事柄から考えれば確かに、間違ってはいない。
 でも……でも。
 そんな下らないことで積年の願いが叶ってしまうなんて、まさか思わないじゃない。
 不可抗力と言うか、棚から牡丹餅と言うか。
 中学生の頃、キラキラ輝いていたあの時、加藤の夢は狩谷に名前で呼んでもらうことだった。
 それがこんなにあっさりと、しかも甘いものを欠片も感じさせずに放たれるとは。
 嬉しい……と言えば勿論嬉しい。
 夢見ていた、予想したものよりもずっとずっと小さいけれど、それは確かに一歩前進した証だったから。
 ちょっと、拍子抜けはしたけれど。
 加藤は少しだけ、笑ってみた。
 うん、悪くはない。
「せやったらぁ、うちもなっちゃんのこと夏樹って呼んでもええ?」
 あなたがが私のことを好きに呼んで良いのと同じように、私もあなたのことを、好きに呼んでも良い?
 勇気を出してみた。
 縮こまって怯えている自分から、ほんの少し踏み出す勇気を。
 それに、狩谷は事も無げに返す。
「呼び方なんて制限した覚えはない、好きに呼んでくれ」
 その声には、微塵も揺らぐものは感じられなかったけれど。
 背けた頬が僅かに朱に染まっていたから、きっと、これで良いのだと思う。
 ホラ、やっぱり、間違ってなんかいないよね?
「うん!」
 上機嫌になって弾んだ加藤の声に、狩谷はこっそりと苦笑した。
 彼女はいつでも明るくて自由奔放に振舞っているように見えて、実は誰よりも周囲に気を遣っている。
 それがいつも気がかりで、見えないところで苦しんだり悲しんだりしないと良いと思うから、心からの笑顔をあげたいと思う。
 だから名前の呼び方一つでも良い。
 それが、彼女の笑みの元となるなら、これに優るものは最初からなかったのだ、と――そう、思った。


「せやせや、呼び方なんて、結婚すればうちも狩谷やしね!!」
「!? な、何を言ってるんだおまえは!!」
「別に加藤夏樹でもうちはええけど」
「そんなこと言ってな……あーもう分かった! 良いよ狩谷祭で!」
「……うんっ!!」


 共にいられる時間が大切だから。
 だから……ずっと一緒にね?






ende

*********************************************************




 第1話で喧嘩して以来カポーでの登場がなかった夏祭、仲直り完結編です。
 因みに私が加藤を描く場合の掟で、彼女は似非関西弁なのでモノローグは標準語になります。
 狩谷×加藤については、喧嘩の原因があまりにもアホくさいと思いつつも最後の狩谷の「まあつまり……僕がおまえを祭と呼んでいれば良いだけのことだった」が書きたいがためだけにあんな馬鹿らしい喧嘩を。
 しかしこの二人書くの楽しいなぁ。
 加藤の片想いは文字にしてみると結構はまります。そして狩谷が彼女を大切にしたいと思っていたら、良いと思う。



お手数ですがブラウザバックでお戻り下さい。