サトシオン、って言うか詩音話。
悟史が戻って来るというちょっと現段階ではあり得ない再会を、詩音が沙都子を守って沙都子と一緒に悟史の帰りを待っていた、と言う前提をもとに書いてみた小説です。
こういう話には多分ならないと思うんだけど、詩音スキーとしては望みたい未来。そういうのが苦手な方はどうぞスルーして下さい。

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「ただいま、詩音」
 耳を打つのんびりとした柔らかい声に、一瞬、思考が止まる。
 目の前に立つ懐かしい大好きな人は、信じられないくらい暢気な笑顔を浮かべて、信じられないくらい暢気なことに、あの時のクマのぬいぐるみを胸に抱きかかえていて。
 こんな突拍子もない突然の帰還、夢なんじゃないかと疑って。
 けれど私は、園崎詩音は、ただ呆然と時間を無駄にしたりはしなかった。
 頭ではまだ理解しきれないそれを排除して、全速力で駆け寄って、飛びつく。
 ぎゅっと抱き締めた身体は暖かくて、堅い実体を伴っていて、ここで悟史くんが生きているんだってことを知らせてくる。
 それでも安心しきれない私の頭を、優しい手がふわふわと撫でた。
 悟史くんの手。
 それはずっと待ち望んでいた、記憶そのままの感触で、今は、それだけが現実だと思った。
 夢じゃない、幻じゃない。
 ここにいる。
 悟史くんが、私の腕の中にいる。
「ふっ、えっ……ッ!!!」
 飲み込んだ嗚咽。
 今まで人前で涙なんて見せなかった私が、信じられない、けれど何よりも信じたいそれに感極まって、涙の予感を押し殺した。
 それを誤魔化すように、悟史くんが胸に抱えていたクマのぬいぐるみを挟んで、ぎゅっと頭を押し付ける。
 時間は有限だし、泣き止むにはどうしても時間が要るし、らしくもなく取り乱した私は、だから何とか我慢して、我慢しようと手探りで材料を探して……悟史くんの腕に抱かれているクマと、目が合った。
 黒くてつぶらな大きな瞳。
 混乱でぐちゃぐちゃの私の気も知らないできょとんと見つめ返してくるそのまるっとしたぐりぐりの目がなんだか空気を読めないようで、おかしくなって、笑ってしまう。
 あの日から、このクマは悟史くんと一緒にいたのかもしれない。
 悟史くんが一人で淋しい時も、この子が慰めたのかもしれない。
 そう思ったら愛しくて、思わずふかふかのその頬に頬擦りした。
 今はもう、なんでも、優しい気持ちで見ることが出来る。
 これは沙都子に渡されるもの。これほど値の張るものを妹に贈ろうという想いを、心の片隅で羨んだこともあった。他の人に渡されるその暖かさを、手に入れられないことが遣る瀬なくて。
 それと同時に憧れた。肉親に対して惜しみない愛情を注いでやれる彼に、本当に……心の底から。
 私が悟史くんから貰えるものなんて、今目の前にいてくれるっていう、幸せだけしかない。
 以前の私だったら、きっとそれに嫉妬して醜い自分を尚更憎んだことだろう。
 けれど、今は……それで良いと思う。
 私の視界の中で悟史くんが笑っている。頭を撫でてくれる。そんな、もう届かないかもしれない希望に脅えながら過ごしていた時だってあったんだから。
 これを手に入れていられるっていうのに、自らの下らない感情と戦わなければならないなんて、なんて虚しいことか。
 ……そう、思えるようになった。
 私の世界が、優しくなったから。
 諦めでも憎しみでも妬みでもない感情で生きていられるということがどれだけ幸せなのか、ってこと。本当に長い間、もうずっと子供の頃以来考えられなかったこと。それを知ったから。
 瞼を閉じた私の頭の上に、一番暖かくて優しい声が降って来た。
「やっと笑ってくれた。……詩音、憶えてるかなぁ。これ」
 嬉しそうに笑ってぬいぐるみを見遣った視線はこの上なく柔らかくて、「笑ってくれた」と私なんかの微笑みを喜ぶ声は、私の思い込みでなければ、それ以上に柔らかな声で。
 ああ、やっぱり私は、それでもう充分幸せになれる。
「……悟史くんが話してくれたことは、全部、憶えてます。だから、ちゃんと約束も守って……沙都子と一緒に待ってたでしょ? 私は、悟史くんが居てくれるだけで良いんですから」
 笑いながら顔を上げると、悟史くんはちょっと頬を染めて、それから、困ったような顔で笑ってくれた。
「いっぱい心配かけちゃったね。詩音は僕の為に色々してくれたのに……ごめん」
 悟史くんは何にも悪くない。私は結局彼を救えなかったし、最後まで自分のことしか考えられなかった。
 でも、本当に心配はしたしそういうところは実はちょっと許せなかったりするから、私は難しい顔をしてみせる。
「心配なんて……しましたけど、凄くしましたけど、今ここにいてくれるから、だから、ずっといなくならないって約束してくれるなら、良いんですよ」
 怒った顔を続けようと思ったのに、顔を見ていたら出来なくて、笑ってしまった。
 嬉しいという想いしか湧いて来ない。
 目の前の人の体温、体の感触、全てをただ貪欲に感じようとすることしか、出来ない。
 だからどうか、もうどこにも行かないで、ずっと側にいさせて。
 悩むことや辛いことがあったら必ず力になる、 なれなくてもせめてその痛みを知っていることはできるから、打ち明けて。
 それだけで良い。それ以外は望まない。欲しがったりしない。
 だって、もう二度とこの手に戻らないんじゃないかってずっと疑っていたんだもの。
 けれど今、ここに彼がいる。生きている。息をしている。
 私は眦に浮かんでしまった涙の雫をさり気なく拭って、抱き締めたままのその体をようやく開放してあげた。
 これは私だけが独占して良いものじゃないから。
 早く沙都子の所に行きましょう、と言うと、悟史くんは怯えるような、でも迫る予感に喜んでいるような、複雑な表情を浮かべた。
 悟史くんが大切にしたいと思うもの、今なら私、良く分かる。
 守りたかったもの、傷付けてしまうかもしれないと思っていたもの。傷付き傷付け、それでも自分の思いを押し殺して守りきったものの大切さが、分かる。
 だから、笑ってみせた。
「待っていますから、行きましょう。悟史くんがいない間に、色んなことが起きましたよ。沙都子は強くなったし、それから、転校生が来て、友達になりました。ちょっとだけ悟史くんに似ていて……とても良い人ですよっ」
 笑って話せる日が来た、そのことを、何よりも喜びたい。
 一歩間違えていたらこんな未来はなかったんだ。
 そして私がこうして笑えるのは……やっぱり、癪だけど圭ちゃんのおかげなのかもしれない。
 悟史くんは少し、寂しそうに笑った。
「時間が経ったんだって、感じがするね。ちょっと寂しいかな」
 待っていた長い時間に比べたら何でもないことを、あれこれ考えているらしい。
 そんな彼の手を、私はさり気なく引いて(これくらいの特権、許してもらって良いですよね?)、先に立って歩き出した。
 手を引っ張られて、悟史くんの足が一歩、二歩、と雛見沢の地を踏む。
 たったそれだけのことなのに、今悟史くんが雛見沢を歩いているんだと、叫び出したい程強く思った。
 村中の人に、教えてあげたいくらい。
「それは仕方がないことですよ。でも、足りない時間はこれから埋めれば良いことでしょう? ……そうだ、これを、言い忘れていました」
「?」
 前を向いていた体をぐるっと振り向かせた。
 悟史くんは「何を」と問うような顔をしている。
 もうずっとずっと、この瞬間を待ち侘びて頭の中でシミュレートして、実際言うとなったらにんまりと緩んでしまう頬を抑えられないのだけれど……何とか、私は極上の笑みを浮かべられた……はずだった。
「お帰りなさい、悟史くん……!」


ende


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 詩音の話を書き終わったという時、さてタイトルはどうしようかと思ったら、これしか思い付かなかった。
 実はこれ、前に来る詩音と魅音の話とか考えているのですが、いつかお目にかかれたら良いなぁ(笑)。