53.あなたがいる。ただそれだけで死ぬのが怖い。
壬生屋の歴史は、戦いの歴史。
剣をとり、命を武器にして戦う一族。誇り高く平成のこの世に武士の魂を忘れぬ者。
未央は生まれた時から戦うことを定められていたし、それを不満に思ったことがなかった。
ただ心優しい兄が戦うよりは、自分が壬生屋を継いで剣の道を次の世代に説いても良いと、そう思っていた。
死を、恐ろしいと……思うこともなく。
無は恐ろしい。けれど信念の為に戦って散ることは、未央にとって少しも恐ろしいことではなかった。
今、この時までは。
ドン!!
空間を裂くような爆発音に、未央は悲鳴を零さないよう赤い唇を噛み締めた。
機体の性能は見る見る落ちていく。
今日の被弾はこれが初めてではない。鋭い警告音が鳴り響き、能力の低下に伴って回避率も下がる。
……このままでは死んでしまう。
ぞっと背筋に冷たいものが走った。
死ぬ、死んでしまう。今は亡き物言わぬ兄と同じく、魂の存在すら感知できない者になる。
この小隊に配属されてから感じ始めていた、耐え難い恐怖が未央の心を埋め尽くした。
死ぬのは、怖い。死にたくない。
けれどこの場は退けなかった。今自分が立っている場所は、あしきゆめと指揮車を結ぶラインだったからである。
だんだんと早く浅くなっていく自らの呼吸が、遠くなっていく感覚。
兄上もこれを味わったのかしら。
そのことに安心を得ようとしたけれど、却って凍りつくようなほどの寒さを感じる。
ただ脳裏に浮かぶのは、恋人……瀬戸口隆之の顔。
彼が居る。彼と生きる。
そのことだけで、何もかもが愛しくなった。
彼が呼ぶ名前、触れた手、……唇。すべてが愛しくて、失くせないものになっていて……未央は死ぬことが怖くなった。
なくなってしまうこと。
無になること。ゼロになること。
ゼロ……あの人の中のわたくしも、ゼロになってしまうこと。
それが怖い。何よりも怖い。
ゼロとは何? 居なくなってしまうこと? いつかはそれに慣れてどんどん遠ざかること?
わたくしを忘れたあの人は、きっと一人で生きていけはしないでしょう。
恐ろしい予感。けれどこれが外れることはきっとない。
未央は震える手で、通信のスイッチを入れた。
絶望的な数値が映されるディスプレイを読み上げるしかない瀬戸口の、最後の声を、終わるその瞬間までそれでも聴いていたかったから。
「……死にたくないと、醜く私が泣き叫べば……それでも、私を許してくれますか」
卑怯な問いかけ。
一体この戦いで何人の者が、誇りも何もかもを捨てて「死にたくない」と泣いたのだろう。そしてそれは叶わず命を落としたのだろう。
それは兄も……最後の瞬間に思ったことかもしれない。
それでも未央はまだ未来を見たかった。消してしまいたくなかった。
諦めの悪い……しかし諦めてしまっているような言葉に、瀬戸口が悲痛な声を上げる。
「待ってろ! すぐ行く!」
けれどもう間に合わないことは、自らが一番良く分かる。
全身に痙攣が走り、力とともに体温すら抜け落ちていくような感覚が襲ってきた。
だから、まだ指揮車を降りないで。
「……痛いから……醜いのではなくて……あなたが……他の人と仲良く歩くかもしれないから、死にたくないのでしょうね……」
彼が他の誰かと生きる未来。
明日も明後日も、笑っていてくれると良いと思う。それは、自分の死後も。
けれど自分の居ないところで自分以外の誰かと生きる瀬戸口を、想像するだけで血管から凍っていくようだった。
「……死にたく……ありません……。……死にたく……あり……いや……いや……っ。……」
生きていたい、生きていたい、死にたくない。
どれほど醜いと罵られても良い、こんな女だったなんてと言われても、生きてさえいれば取り返しがつくものだから。
ここで消えたら何もかもが……。
瀬戸、口……く……
……その想いを、言葉を最後に、壬生屋未央は死んだ。
「残念なことになりましたね……」
背中からかけた声に、場の空気が急激に冷えて尖る。
それに対して岩田は眉ひとつも動かさず、屋上の手すりに腕を乗せて下を見下ろす瀬戸口へとゆっくり近づいた。
すぐ近くまで来てぴたりと立ち止まる彼を、瀬戸口は剣呑な眼差しで振り返る。
そして普段の彼を知る者が聴いたら……例えば壬生屋などが聴いたら驚くほど、低い声で問いかけた。
「……何が言いたい」
感情剥き出しのその言葉に、岩田はふっと微笑んだ。言葉にはまるでそぐわない笑顔で。
「御悔やみを申し上げようと思っただけですよ。……しかし、それほど落ち込むことはないんじゃないですか?」
壬生屋と瀬戸口が恋人同士だったのは、加藤に知らされずとも小隊の者であれば誰でも知っていることである。そしてそれは勿論、岩田も例外ではなかった。
まるで挑発するかのような、彼女の死を重く受け止めていないとも取れる岩田の態度に、しかし瀬戸口は黙殺しようとでもするように何事も答えない。
「……」
押し黙った彼の反応に、ひとつだけ息を吐き。
岩田はこの一言を言えば必ず彼が何らかの反応を見せると知っている、切り札をちらつかせた。
「彼女を失ったこの世界は、5月10日にループを迎えるのですから」
誰一人亡くすことなくある一人の少年の闇を取り去らなければ、世界は何度でもループする。
もう一度始めから、やり直し。リセット。しかし壬生屋ももう一度生きることになるのだから、瀬戸口にとってそう悪いことばかりでもないだろう。
岩田のこの言葉に、瀬戸口はいつも穏やかな瞳をまるで獣のように細らせ振り返った。
ものすごい勢いでそのまま、岩田の胸倉を掴みあげる。
それは普段の彼からは想像も付かない程、恐ろしい力だった。
「……っ、貴様……!!!」
押し殺した怒声。
それでも、岩田はやはり動揺せず、自らの喉元を絞めている瀬戸口の手にそっと手を触れさせただけで、彼の手を外す。
どうやったのか指の関節に激痛が走り思わず手を放した瀬戸口は、憎々しげに彼の顔を見遣った。
それに岩田は笑みで応える。
どうしても遣る瀬なくて、何かを責めたい彼の気持ちが透けて見えるようだった。一番自らを責めて欲しいと思う心も。
「腑甲斐ないのも護れなかったのも、間に合わなかったのもあなたですよ。私じゃない。誰かを責め自分を責め、彼女が生き返るのならそれで良いかも知れませんがね。同じじゃないと知っていても、彼女は彼女です。哀しみを終わらせたいなら、未来を知りたいなら、今度こそあなたはその手で護らなければいけない」
振り返ることはある。弱くなる時は誰にでもある。
けれど再び壬生屋を前にしたら、もう前を向いていくしかないのだ。
もう二度と同じ苦しみを味わいたくないなら。
「皆戦っているのです。一人だけ逃げていても仕方ないことなのですよ、絢爛舞踏。あなたには戦う力が……護ることの出来る力があるのです」
立ちなさいと、あの子なら言います。
「私には似合わないけれど……5月11日に笑う皆の顔が、見たいですから」
最後に切なげに微笑んで、岩田は去った。
彼が終始笑みを浮かべていたことも、けれど何処か泣きたいような顔をしていたことも、瀬戸口が気付いたのは彼が階段を降りたあとだった。
この小隊に集った全ての人の希望を叶えるなどきっと難しいけれど、運命の日のラインを越えたい、笑って迎えたい、未来を見たいと願うのは、きっと同じはずだから。
「おまえさんと歩く未来で生きたいから……俺も戦うよ」
瀬戸口は壬生屋の死後強張っていた頬をやっと解いて、強く握りしめてくしゃくしゃになっていた、赤いリボンを掌に広げた。
ところどころ血色で黒ずんだそれは、壬生屋が最期の瞬間まで身に付けていたもの。
失ってしまった時は、もう二度と戻らないと、痛いほど知っている。
けれど望みたい。失うことは何より恐ろしいけれど、このままここで何もしないでいるより、何かをしてから嘆いた方が、きっと良い。
たった一人の、君だから。
続く
……死にネタですネ(汗)。
このお題を見た瞬間ざーっと話が浮かんでしまったので超スピードで書きました。
寧ろこれが書きたいが為にこちらのお題を拝借したと言うか(笑)。
話の流れ的にはアニメ版で書いた「The smart wound」とほとんど同じなんですけど……今回はどちらも諦め悪くしてみました。
これはループ後に続きます。
しかし瀬戸口よりも岩田の方が出番が多い気がするのは何故だろう……(汗)。
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