Delightful present






「あ」
 珍しく真面目に仕事をしている上司の声に、吉良は顔を上げた。
 市丸は整理をしていた書類を確認するようにざっと目を通してから「あちゃあ」ともう一度呟く。
 書類に不備でもあったのだろうか。吉良はまず席を立って近寄ってから、訊ねた。
「隊長? この書類がどうかなさいましたか?」
 吉良の声に目を(見えるのかどうかは分からないのだが)上向けた市丸は、取り繕うかのように微笑む。
「や、大したことやない。ただこの書類……うちやなくて十二番隊さん宛てみたいやなと」
「十二番隊……ですか?」
 吉良が反復すると、市丸は僅かに苦笑らしき表情を浮かべる。
 そんな表情が珍しかったので、吉良は僅かに驚いた。市丸と言えばいつも変わらぬ……こう言ってしまっては何だがのっぺりとした薄ら笑いが常だったからである。
「涅隊長の隊やね。あー……誰かに届けさせよ」
 市丸が重ねられている書類とは分けて置こうとしたそれを、手を伸ばして受け取った。
「十二番隊で良いんですか? 今手が空きましたので、行きますよ」
 下の者に連絡をすると対応が遅れるかもしれない。その点自分なら直ぐだ。
「イヅルが? ……まあ、さすがに他隊の副隊長には無茶もせんか。せやな、お願いするわ」
 一人でうんうんと頷いて、書類が手渡される。言葉の意味すら説明しないままに。
 吉良は何だか今手に乗っている軽い紙面が爆弾でもあるかのように感じられた。
「ちょちょちょ、ちょっと待って下さい。そ、そんな怖いところなんですか?」
「や、まあ怖いところ言うか、怖い人? あんま会いたない顔やしな。そんな緊張せんでも大丈夫大丈夫」
 全然大丈夫そうには聞こえない。吉良はがくりと肩を落として見せた。
「……さ、最低な誕生日です」
 仕事もあるし、予定も特にない。
 友人は憶えているのかどうかも分からない。
 それでも今日は特別な日で、期待は無意味と分かっていても何処か落ち着かない気分があるのに。
 そういう時に限って嫌なことも起こる。
 市丸は珍しく私事の感情を洩らす部下に苦笑した。
「まあそう言わんと……これやるさかい」
 市丸の手が伸びてきて、死覇装の胸にいかにも手作りで安っぽく「お誕生日おめでとう!!」と書かれたバッジをつける。
 胸元を見下ろして、吉良は脱力した。
「……珍しく静かにお仕事をしていらっしゃると思えば……先ほど手仕事をしていたのはこれですね?」
 初めて、市丸に助けられた学生時代、飄々とした態度は羨望の対象だった。
 虚を前にして微笑む姿勢が強いと思った。
 まさかこんなふうに手を抜くところはきっちり抜く人だとは思わずに。
「……イヅルが僕のことどない思うてるかよう分かったわ」
 部下の失言もかわして、市丸は笑う。
 形ばかりの不穏な言葉を吐いても、いつも通りその笑みは変わらなかった。
 こういうところが敵わないなぁと思ったりするのだが、吉良は溜息を一つ吐いて、「では」と隊舎をあとにした。

 三番隊舎を出てしばらく歩いていくと、途中で恋次に会った。
 彼は吉良の顔を見るなり慌てたような顔をして、「ちゃんと憶えてたぜ」と白々しく笑いながら懐から取り出した袋の開いている蜜柑飴をくれた。
 唐突に手渡されたそれの意味も言葉も何のことだか分からないながら「……有難う」と返すと、その返答に何を思ったのか、恋次が頭を抱える。
 何やら激しく苦悩しているようである。
 一体何だと言うのか。
「……あの、阿散井くん?」
 遠慮がちに声をかけると恋次はようやく顔を上げ、吉良の肩に手を置いた。
 いつも自信満々に見える不敵な眉が何故か苦々しく寄せられている。
「悪い。今度用意しておくからよ」
 ……何を。
 訊きたくても訊き難い雰囲気の中、心の中でだけ問いかけ、吉良は取り敢えず頷いた。
 それにホッとしたようにようやく恋次は親しくない者には滅多に見せない力を抜いた笑みを浮かべ、走っていく。
 そしてその場に残された吉良はと言うと。
「何なんだ、あれは……」
 また何か変な企みでもしているのでは、と長い付き合いである友人の背中を怪訝な目付きで見送っていた。

 それからあとが、またおかしなことの連続だった。
 すれ違う人々に、下らないものを数え切れないほど手渡され。
 十二番隊隊舎前へ来る頃になってようやく吉良は悟った。
 この、懐から探った飴玉や、使い古した手拭いや、ひびの入った手鏡や……その他諸々のものが、誕生日プレゼントだった……ということに。
 差し出されるままに受け取って山のようになってしまった荷物を抱え、脱力感が襲ってくる。
 誕生日。だからって、どうでも良いものを貰う日じゃ、なかったはずじゃないか?
 恋次の「今度用意しておくから」という言葉が何故か輝かんばかりに思えた。
 そもそもこんなふざけたバッジを付けているからいけないのではないだろうか、と思われたが、ここまで来て外すのも躊躇われた。
 これだってきっと市丸の厚意ではあるのだから。
 それにしてもこんな格好で他隊の方と仕事の話をするのかと思うと情けないが……まあ、仕方ない。
 と思ったところへ、背後から声がかけられた。
「……何か御用でしょうか」
 静かな声。
 ハッと振り向くと、表情がごっそりと抜け落ちたような美しい女性が立っている。
 腕には副官章。十二番隊副隊長涅ネムその人であった。
「あ……三番隊の者です。手違いで当方に届いた書類をお届けに……」
 凪いだ水面を思わせる声と表情。
 市丸の言葉が思い出され、こうして実際に口をきくのが初めてだった所為もあり、吉良の声と表情も自然硬くなる。
 そのあまりの静けさに気圧されながらも口を開くと、ネムは了承の意を示しこくりと頷いた。
「畏まりました。……三番隊の吉良副隊長ですね」
「はい、吉良イヅルです」
「恐れ入ります。私は十二番隊副隊長を務めております、涅ネムです」
 耳に入り込むネムの声はどこまでも静かだった。決して甘くはない。それでいて太い訳ではない。
 例えば……吉良の中で一番親しい「女の子」である雛森などを思い出すと本当に同じ女性かと疑ってしまいそうな、正反対の存在に感じられた。
 細いけれど頼りない訳ではない声。優しくはないけれど厳しくもない眼差し。
 今まで見たどの女性とも、違うように思われる。
 その時、ネムがふっと視線を吉良の胸の上で止めた。瞳が僅かに、本当に僅かに柔らかくなる。
「お誕生日なのですか」
 訊ねてきた声が先ほどと些かトーンが変わったように感じて、吉良は一瞬何のことか分からなかった。ハッと気付いて自らの胸元に目を走らせる。
 そこには変わらず市丸の手書き文字で「お誕生日おめでとう」と書いてあった。
「あ!? あ、はい。そうです。うちの隊長がふざけて……すみません」
 反射的に頭を下げる。
 どんなことがあっても、例えば今ここで瀞霊廷が滅びても動じないのではと思われたネムの瞳が微かでも緩むのをふと見つけてしまった後ろめたさがそうさせたのかもしれない。
「何故謝られるのです?」
「そ、そうですね」
 自分でも何故と思ったことだから、ネムが静かな眼差しで瞳を覗き込んできた時には尤もだと思われた。
 本当に僕はおかしい。
 笑ってみせると、ネムは少し首を傾げた。
「……お名前が」
「? 僕のですか?」
 唐突な話題の転換に戸惑いながらも吉良が尋ねると、彼女は形の良い顎をトンと頷かせる。
 その仕草が表情に似合わず童女のようで僅かな違和感を感じた。
 さらさらと黒髪が頬にかかる。それをはらいながら、ネムが初めて少しだけ唇の端を綺麗に上向けて微笑んだ。
「良いお名前ですね」
 その微笑みは何処かぎこちなく、例えば見る者をホッとさせてしまう雛森のようでは決してなかったけれど、これまで緩みもしなかった唇が刻んだ貴重な微笑は心に響く美しさを放っている。
 硬質な印象が和らぐ様に、吉良が目を瞠った。
 場が華やぐような笑みではなかったが、今までのもの静かと言うよりも人形のようだった美貌が血の通ったものに見える。
「……そ、うですか?」
 殊更そう言われたことなど殆どない、寧ろ変わっていると言われることの方が多い名前だったので、吉良は戸惑った。
 彼の上司も大概珍しい名前ではあったが、自分の名前も相当珍しかったからである。
 その声の迷いに、ネムが強い調子で頷いた。
「イヅル……解放、出世、そして誕生。生まれいづる、あなたを祝福したお名前なのではないですか」
「……!」
 名前の由来なんてものは、きっと色んな意味があるのだろう。この時に至っては推測の域を出ない。
 けれど、ネムの言葉があまりにも自信を感じさせる淡々としたものだったので、そうか、と納得させられるものがあった。
 そう思えば、今日は本当に特別な日なのだ。
 言葉に詰まった吉良に、ネムはもう一度ぎこちないままの微笑みを向ける。
「お誕生日、おめでとうございます」
 その言葉に、この人は本当は優しい人なんだと思った。
 表情があまり顕著でない顔も、抑揚のない声も、彼女が冷酷である証なんかでは決してなく。
「有難うございます」
 愛想笑いではない笑みで、吉良は応えた。
 微笑むのも誕生日を祝うのも、きっと彼女が得意とすることではなかっただろう。
 それでもこの名前の意味を考えてくれて、祝ってくれた。その気持ちが有難かったから。
 その時、吉良の笑顔にふっと視線を落としたネムが、ふと今気付いたように吉良の手に積まれた荷物を覗き込む。
「ところで、手に持っていらっしゃるのは? お預かりする書類と関係ありますか?」
 吉良の手に抱えられている荷物。勿論それは、通りがかる人々に渡された“贈り物”のことであった。
 やっぱり、一回隊舎に帰って置いてくれば良かったかな。
 とは言え一度戻って荷物を置いて、更にもう一度往復する中でまた何か渡されないとも限らない。
 要は何が何でもこのバッジが要因な訳である。
 吉良は苦笑した。
「いえ、これはバッジを見た方に頂いて……」
 言い差した言葉にネムが頷く。納得したという声音だった。
「贈り物なのですね……良い隊長をお持ちです」
 一瞬何を言われたのか分からず唖然とする。そういう解釈も出来るのだろうか。
 例えばこれを見て余計な親切心を起こした人々に懐から探った飴玉や使い古した手拭いやひびの入った手鏡を渡されたとしても。
 せめて誰か、一度も開けていなかったり使っていないものでもくれれば良いものを。
「何だか要らないものを頂いている気がしないでもないんですけど」
 勿論みんなの気持ちは嬉しいし、市丸のそういうところが多分きっと恐らく自分は好きでずっとついて行きたいなんて思っていたりするのかもしれないのだけれど。
 笑ってみせると、暫しネムは押し黙ったあと、顔を上げた。
「……少々お待ち下さい」
「え? あ、あの?」
 そう言って踵を返すと、背を向けて十二番隊舎の中へ入って行く。
 吉良は突然のことにその背中を見送るしかなかった。
 程なくして戻って来たネムの手には、僅かに歪んだ細長い物体がほっそりとした指で支えられている。
 それがあまりに大切そうな様子なので、思わずまじまじと見つめてしまった。
 間近に見て分かったが、桃色よりも更に薄く白色に近い、それは桜の一枝である。
 吉良の目の前まで辿り着いたネムは、腰を折った。
「お待たせ致しました。探してみたのですがこれくらいしかなかったので……私の部屋に飾ってあった花です。どうぞお持ち下さい」
 急いで来たのだろうか。僅かに息が乱れている。
 両手を添えて差し出された、そのゴツゴツとした枝に不似合いなアンバランスさが美しい薄紅の桜。
 それが自分への贈り物であるということに気付いて、思わず吉良は驚愕に声をあげた。
「え!?」
「これも“要らないもの”です。けれど私のように情のない者よりあなたのような方が愛でて下さった方が桜だって幸せでしょう」
 受け取って下さい、と言って向けられる手は本当に優しく枝を支えている。それはネムがこの桜を大事にしようと思っている表れのように、吉良には感じられた。
 まるでそっと守るような優しい、ぎこちない眼差しが、彼女の思いを伝えてくれているように。
 それほど愛おしむ心を持ちながら“要らないもの”とまで言った。吉良がこの枝を手にとることを躊躇わない為の気遣い。
 大事なものなら返してあげたいと思うよりも大きく、これを受け取りたいと思った。
「……有難うございます」
 ネムと同じく優しい動作で彼女の手から枝を持ち上げる。
 茶の枝に薄紅の花弁。それはこれまで通りかかった人々から手渡されたものよりも、「心」を感じられるものだった。
 その「心」が嬉しくて、吉良は笑う。
 もしかしたら些細なことかもしれない。過ごす時の中で風化してしまうのかもしれない。
 散ってしまえば生を終えるこの花は、記憶の隅へ追いやられ、やがては飴や手拭や手鏡に劣るものとなってしまう時が来るのかもしれない。
 それでも今は。
 初めて会うこの人の「心」を受け取った今日の日は、確かに良い一日だった。







 続きます。(笑)。ごめんなさい。キリが良かったのでぶった切り。
 吉良の誕生日には書きあがっていたのですが、諸事情によりアップ見合わせでした。
 書いていて楽しかったのは……恋次、でしょうか。
 実は恋次を書くのも初めてなんですが、吉良との組み合わせを書くのが楽しかったので。
 と言うか市丸と吉良も書いていて楽しかったのでやはり私は吉良を書くのが好き=吉良が好きなんだなぁとしみじみと思わされました。
 因みに吉良の名前の由来なんて絶対間違っている自信があります(笑)。
 後書きは次ページにて書かせて頂きました。よろしければ。


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